子供はおしなべて、まだ害されていない五感を持っています。私は自然の中に潜む精神的なものを認識するには、完成された理解力が是非必要だとは思いません。そうではなく、ただただ健康な五感が必要なのです。 『エンデの文明砂漠』
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“僕が何になりたいか言ってやろうかな?
なんでも好きなものになれる権利を神様の野郎がくれたとしてだよ” “なんになりたいの? ばち当たりな言葉はよしてよ” “とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない。 で、僕はあぶない崖のふちに立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ…つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して行って、その子をつかまえてらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。 馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ” (ライ麦畑でつかまえて/J・D・サリンジャー) |
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